東京高等裁判所 昭和59年(ネ)1816号 判決 1986年12月17日
控訴人
角舘三郎
控訴人
角舘幸子
右両名訴訟代理人弁護士
円山雅也
同
町田宗男
同
田澤孝行
被控訴人
東京都
右代表者知事
鈴木俊一
右指定代理人
金岡昭
同
片正俊
同
鈴木真澄
主文
原判決を次のとおり変更する。
被控訴人は、控訴人角舘三郎に対し、金三二九四万一七一七円及びうち金三〇三四万一七一七円に対する昭和五二年三月三一日から、うち金二六〇万円に対する昭和五二年一〇月一五日からそれぞれ支払済みに至るまで年五分の割合による金員、控訴人角舘幸子に対し、金三一九四万一七一七円及びうち金三〇三四万一七一七円に対する昭和五二年三月三一日から、うち金一六〇万円に対する昭和五二年一〇月一五日からそれぞれ支払済みに至るまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。
控訴人らのその余の請求を棄却する。
訴訟費用は、第一、二審を通じて五分し、その一を控訴人らの、その余を被控訴人の負担とする。
この判決は控訴人ら勝訴部分に限り仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴人ら
原判決を取り消す。
被控訴人は、控訴人角舘三郎に対し金四〇五八万九一三四円及びうち金三六九八万九一三四円に対する昭和五二年三月三一日から、うち金三六〇万円に対する昭和五二年一〇月一五日から各支払済みに至るまで年五分の割合による金員、控訴人角舘幸子に対し、金三九五八万九一三四円及びうち金三六九八万九一三四円に対する昭和五二年三月三一日から、うち金二六〇万円に対する昭和五二年一〇月一五日から各支払済みに至るまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。
訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
との判決及び仮執行の宣言
二 被控訴人
控訴棄却の判決
第二 当事者双方の主張及び証拠関係
次のとおり付加、訂正、削除するほかは原判決事実摘示及び当審記録中の書証目録、証人等目録の記載と同一であるから、これを引用する。
一 原判決一三枚目表九行目「本件ルートは」を「、五万分の一地形図の等高線によれば、本件下山ルートを横切るようにして、三本の沢筋が稜線へ突き上げていることが読み取れるので、本件下山ルート(山腹)一帯の地形は」と改める。
二 原判決一七枚目表六行目の次に行を改め、次のとおり加える。
(二) 本件山行計画の無謀性
被控訴人は、西駒山荘に停滞した場合には、その精神的重圧によつて生徒の行動に危険な状態が生じると考えられたので下山せざるを得なかつたと主張しているが、本件山行計画においては、当初から天候急変による停滞が予想されたところであり、かつ西駒山荘は停滞場所としては最も好条件の場所であつた。
また、本件パーティー中に西駒山荘に一、二日停滞しただけで被控訴人主張のような状態に陥るような生徒がいたとすれば、そのような生徒を本件山行に参加させたこと自体極めて無謀、無責任な行為であり、かかる無謀、無責任な山行は最初から取り止めるべきであつた。しかるに小泉らは、そのような生徒であることを知りながら本件山行を強行したため、西駒山荘から無理矢理に下山せざるを得なくなり、その結果本件事故が生じたのであるから、本件事故は小泉らの無謀、無責任な過失行為により生じたものである。
三 原判決一八枚目表七行目の次に行を改め、次のとおり加える。
(Ⅴ) 掛け声をかけたり、団子状になつてラッセルすることは雪崩を誘発する危険があるので制止すべきである。
理由
一当事者
訴外亡角舘弘英(以下、「弘英」という。)が昭和三四年二月四日出生し、昭和四九年四月東京都立航空工業高等専門学校(以下、「本校」という。)に入学し、昭和五〇年七月本校山岳部員となり昭和五二年三月三〇日後記遭難事故(以下、「本件事故」という。)により死亡したこと、控訴人両名が弘英の両親であること及び被控訴人が本校を設置していることはいずれも当事者間に争いがない。
二本件事故発生に至る経緯
原判決事実摘示の「請求の原因」2(本件事故の発生とそれに至る経緯)の(一)ないし(六)の事実(ただし、同(五)のうち、視界の点を除く。)及び同3(小泉及び中山の過失)の(一)の事実はいずれも当事者間に争いがない。
右争いのない事実及び<証拠>によれば、次の事実を認めることができる。
1 本校山岳部は昭和三七年頃発足したものであり、昭和五二年当時は本校助教授である訴外小泉孝一(以下「小泉」という。)及び本校講師である訴外中山忠雄(以下「中山」という。)の両名が顧問としてその指導に当たつていた。
2 本校山岳部は小泉及び中山の引率指導の下に、昭和五二年三月二七日から三一日まで四泊五日の日程で木曽駒ヶ岳山行の合宿行事をすることを計画した。右計画(以下「本件山行計画」という。)による参加者及び日程は次のとおりである。
参加者
小泉、中山(以上、顧問)、加藤正孝(四年生、リーダー。以下「加藤」という。)、角田敏憲(四年生、サブリーダー。以下「角田」という。)、弘英(三年生、サブリーダー。)、嶋ノ内均(二年生。以下「嶋ノ内」という。)、志村茂雄(二年生。以下「志村」という。)、森田広行(一年生。以下「森田」という。)、仲佐義樹(一年生。以下「仲佐」という。)、清水辰治(本校山岳部先輩。以下「清水」という。)
日程(行動予定)
二七日 新宿発―伊奈市―桂小場―ブドウの泉(幕営地・桂小場)
二八日 ブドウの泉―大樽小屋―胸突の頭―分水嶺―西駒山荘(幕営地・西駒山荘)
二九日 雪上訓練(幕営地・西駒山荘)
三〇日 西駒山荘―馬の背―駒ヶ岳―中岳―宝剣岳―中岳―駒ヶ岳―西駒山荘(幕営地・西駒山荘)
三一日 西駒山荘―大樽小屋―桂小場―伊那―新宿
右合宿行事の計画は、主として部員の上級生間で検討され、小泉が昭和五二年三月その原案を見て新宿発を夜行から午前に変更した上宿泊を伴う学校行事の承認申請書を起案した。学校長は同月四日この申請をし、東京都教育委員会は同月一五日これを承認した。
3 前記参加者一〇名の本校山岳部パーティー(以下「本件パーティー」という。)は、昭和五二年三月二七日新宿駅を列車で発ち、午後二時二〇分頃伊那北駅に着き、同市からタクシーで内の萱の先まで行き、降りるとき運転手に登山届を託し、同三時二〇分桂小場に着き、時刻も遅くなつたとして同日は同地の信州大学演習林駐車場で幕営した。
二八日、同パーティーは午前五時一〇分頃桂小場を出発したが、同五時三五分から八時四五分までの間三時間余に亘つて道に迷い、午後一時頃大樽小屋に到着したが、この小屋が半壊していたので同日はその付近で幕営した。
二九日、同パーティーは大樽小屋を午前五時一五分頃出発して同九時一〇分頃西駒山荘に到着した。この時点において前記計画はその行動内容が変更され、その日程も一泊分の遅れを生じていた。同日は同地で雪上訓練を行つた。午後四時にはラジオの気象通報により中山が天気図を作成した。放送中にラジオの故障があつたが、作成された天気図からは天候の急変はないと判断した。夕食後二時間位歓談してからテント内でミーティングを行ない、明三〇日は予定どおり駒ヶ岳、宝剣岳を往復することとし、同日は午後八時頃就寝した。その後の天候の急変については引率教員は夢想だにしなかつた。
4 ところが、三〇日になるや、午前零時頃から天候が悪化し、早朝には強い吹雪となつた。そこで本件パーティーは予定を遅らせ同六時頃起床し、同日に予定していた駒ケ岳、宝剣岳往復を中止した。朝食後、ザイルの一端を固定し、他端を身体につけた学生が一名ずつ外部の状況の体験をした。西駒山荘の外部は風雪で、風の強さは伊那側で直立して歩けるくらい、本曽側は直立しておれないほどであり、風速は毎秒一五ないし二〇メートルであつた。
加藤が同日午前九時一五分のラジオの気象通報を聞きながら天気図を作成したが、小泉、中山はこの天気図によつて、中国大陸の低気圧が東進してきており、同日以降天候が一段と悪化するものと考えた。そこで、西駒山荘に滞在するか下山するかについて、小泉、中山及び清水、加藤、角田の五名で問題点を協議した。下山について、外部状況を把握するため、午前一〇時五〇分頃、小泉と清水が、主として将棊頭山山腹を胸突尾根方向に偵察しようと出発した。両名は、西駒山荘から将棊頭山頂上に向つて五〇ないし八〇メートル進んだが、強風で歩くことが困難であつたので方向を伊那側山腹に転じて稜線とほぼ平行に稜線下三〇ないし四〇メートルのところを胸突尾根方向に歩いて三ツ岩に達した。この稜線下の雪はクラストしていて、アイゼンの爪が五ミリないし一センチ入る位の殆んど氷に近い状態であつた。三ツ岩から下方に進み、森林限界の近くまで降りた。その辺りは、足が雪の中にもぐるようになり、森林限界近くの雪の深さはくるぶしが隠れるか隠れない位であり、その雪の下はクラストしていた。
5 小泉は、前記偵察の際、将棊頭山の伊那側山腹に存在する三本の沢筋のうち西駒山荘直下に遡上する沢筋の存在を確認したが、その余の沢筋の存在を確認することができないまま(将棊頭山の伊那側山腹には西駒山荘直下に向かう沢筋のほか、その北側にこれとほぼ並行して二本の沢筋が存在し、この三本の沢筋ないしその上部のくぼみは五万分の一地形図「赤穂」の等高線によつて読み取ることができる。)、森林限界沿いに引き返し、同一一時四〇分ないし五〇分頃西駒山荘に帰着した。
6 小泉は、右偵察の結果として、稜線ルートは風が強過ぎ、また稜線直下の伊那側山腹はクラストのため滑落の危険があり、いずれも下山ルートとして不適当であるが、将棊頭山から一〇〇メートル位下方の伊那側山腹の森林限界を胸突尾根に向かうルート(以下、「本件ルート」という。)であれば下山可能であろうと判断し(小泉は、前記未確認の沢は稜線から五〇〇ないし六〇〇メートル下方にあり、右ルートをとれば、未確認の沢のはるか上方を迂回することができ、沢筋に踏み込んで雪崩を誘発するようなことはないであろうと考えた。)、その旨を報告し、本件ルートによつて下山することが決定された。
7 本件パーティーは同日午後零時二〇分頃西駒山荘を出発し吹雪の中で下山を開始した。下山に当たり、小泉はリーダーの加藤に対し、全員の荷物を再点検して装備の重量にアンバランスが生じないように指示するとともに、三ツ岩から先の未知のルートの危険箇所に備えて四〇メートルザイルをリーダー加藤の、二〇メートルザイルをサブリーダー角田のキスリングの上に取り付けておくよう指示した。また、下級生に対しては、上級生、先輩及び顧問を信頼して慎重な行動をするように注意したが、滑落や雪崩の危険については、初心者である一、二年生に不安を与えないようにとの配慮から、あえて説明をしなかつた。そして、清水がパーティーの先頭に立ち、小泉、中山が最後尾につき、滑落防止のため隊列の間隔を開かないようにして西駒山荘を出発した。
8 西駒山荘から下つて森林限界に至る少し手前で、清水、志村、嶋ノ内らが二回にわたつて足許近くにクラックを目撃したが、小泉、中山はこの事実を知らないまま、森林限界に達し、そこで左折したパーティーは森林限界に沿つて胸突尾根の方向に向かつて進んだが、森林限界沿いにはかなりの新雪があつた。そして、森林限界に生えていた岳樺の上部が一ないし三メートル雪上に突き出ており、その間隔は狭いところで約二メートル、広いところでは五ないし一〇メートルであつた。
そして、本件パーティーはラッセルをしつつ、一団となつて掛け声をかけながら進行したが、小泉、中山は終始隊列の後尾についていた。
9 このようにして、本件パーティーは同日午後二時頃樹林の途切れた沢の上部である本件事故現場(将棊頭山頂から北方約三〇〇メートルの稜線から東方に約一〇〇メートル下がつた傾斜約三〇度の山腹であり、小黒川を上りつめた沢の上縁部ないしいわゆるシロデと呼ばれる雪崩の危険地域)に差しかかつたが、当時、将棊頭山の山稜には西からの強い暴風(吹雪)が吹きつけ、その山稜の東側は風下になるため雪の吹き溜り(かかる積雪を風成雪と呼び、面発生乾雪表層雪崩の母体として最も雪崩の危険の多い積雪状態である。)が生じていた。そして、本件パーティーはこのような危険な状態にある本件事故現場を単なる樹林の途切れであると思い、雪崩に対する注意を全くしないままラッセルしつつ横断したところ、これによつて表層雪崩が誘発され、小泉、中山、嶋ノ内を除く七名が右雪崩に巻き込まれて死亡するに至つた。
三学校行事としての登山引率者の注意義務
本件山行が学校行事の一環として行われたものであり、本校山岳部の顧問をしていた本校助教授小泉及び同講師中山(以下、両名を「小泉ら」ということがある。)が指導、引率者としてこれに参加したこと及び本件パーティー構成員のうち五名は高校生相当の年齢の者であり、全体的に雪山経験が浅かつたこと(森田及び仲佐の二名は全く経験がなかつた。)は当事者間に争いがない。
なお、<証拠>によれば、本校には特別教育活動の一環として学友会が置かれ、山岳部を含めて二二のクラブがあり、本校の方針として学生全員がいずれかのクラブに入ることが望ましいとされていること、クラブ活動は学生主事の管轄下にあり、各クラブにはクラブ活動の助言者として顧問(本校の教員をもつて充てる。)が置かれているが、山岳部の顧問は従来からリーダーになる慣習があり、実技指導のできる教員が顧問になつていたこと、各クラブの顧問は特に顧問手当てなどの支給を受けていないが、宿泊を伴う学校行事としてのクラブ活動に参加する場合には学校から出張旅費の支給を受けていたこと、本件山行は東京都公立学校の管理運営に関する規則一六条に基づき宿泊を伴う学校行事(山岳部春山合宿)として東京都教育委員会の承認を受けたものであり、小泉らに対しては公務出張として旅費が支給されていたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
<証拠>によれば、高等専門学校学生の登山、特に冬山ないし春山登山における遭難事故の防止については、文部省体育局長の各都道府県教育委員会教育長及び各学校長宛、あるいは東京都教育長の都立高等専門学校及び都立高校長宛の通知、通達が本件事故以前においても再三(昭和三九年七月一三日から本件事故に至るまでの間、両者合わせて少なくとも一四回)にわたつて出されており、そのうち、例えば、東京都教育長が東京都高等学校生徒登山の遭難防止対策協議会の協議結果に基づいて昭和四一年二月二六日に発した「春山登山の遭難防止について」と題する通知においては、春山登山では雪崩による遭難事故が多く、その原因は天候の急変、技術の未熟、調査研究の不徹底、無理な計画、無謀な行動、指導者の不適格などによるものであることが指摘され、その防止策として、春山の登山地は指導者がかつて積雪期に登山した山の中から選ぶこと、計画に当たつては事前に登山地の積雪の状況、春山の気象、コースの状態などを十分に調査研究し、登山の安全を期すること、春山登山は高さを求めず、安全な登山の基礎知識と技術を修得させることに重点をおき、無理な訓練内容を求めず、ザイルを使用する場所は絶対に避けること、事故や悪天候の場合を予想して安全な下山コースを研究しておくこと、春山登山では縦走を行わないこと、引率、指導は経験の豊かな顧問教師とこれに準ずる指導者を合わせて二名以上で行うこと、春山登山であつても、個人装備、共同装備は冬山装備に準じて十分に行い、特に食料、燃料は十分に整え、予備食、燃料を必ず携行することなどを厳守すべきであるとされており、また、文部省体育局長が山岳遭難防止対策中央協議会の警告に基づき同年一二月九日に発した「冬山登山の事故防止について」と題する通知においては、冬山は吹雪、雪崩、寒気、豪雪などのため常に死の危険を伴つているので冬山を軽視しないこと、気象の変化について細心の注意を払い、その判断は冷静かつ慎重にすること、雪崩の危険性のある場所には絶対に近づかないこと(降雪中及びその直後は特に留意すること)などが指摘されていることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない(なお、本件山行は三月下旬の春山登山であるが、山の高度、積雪状態、本件事故時の天候などにかんがみると、冬山登山に準ずるものであり、原審証人高橋定昌も同旨の証言をしている。)。
ところで、一般に、登山活動には山岳コース自体の危険性のほかに、天候急変、落石、雪崩など自然現象による危険の発生、あるいは体力、登山技術の限界などに伴う危険が存在することは公知の事実であり、登山パーティーのリーダーは、常にかかる危険の存在に注意を払い、極力その危険を回避してパーティー構成員の安全を確保すべき注意義務があることはいうまでもないところであるが(この点は被控訴人も争わない。)、前記認定のように、学校行事として行われる登山については、特にその安全の確保が要求され、これが各学校の関係者に周知されていることにかんがみると、学校行事としての登山は、一般の冒険的な登山あるいは同好の士による登山とは異なり、より一層安全な枠の中で行うべきことが要求され、その危険の回避については、より一層の慎重な配慮が要求されているというべきである。
四雪崩に対する注意義務
前記二の認定事実によれば、本件事故の直接の原因は雪崩にあると考えられるので、本件事故当時における本件事故現場の状況に即して、雪崩に対する一般的な注意義務を検討するに、<証拠>によれば、傾斜三〇度ないし五〇度の樹木のない場所(疎林やブッシュがあつても表層雪崩の危険はある。)、沢筋及び沢を登りつめた山腹部分、稜線下の風下の吹き溜り部分などは雪崩の危険区域であり、特にクラストした雪の上に新雪が積もつている場合、降雪直後の新雪の不安定な時期、日中の気温上昇時などに雪崩が発生し易く、また強風による風圧、雪庇の落下、雪斜面の横断ラッセル(積雪斜面を横断することは雪の斜面を切ることになるので雪崩を誘発する。)などの外部的要因によつて雪崩が誘発される危険が大きく、雪上にクラックが生じる場合は雪の状態が不安定であることを示しており雪崩の一前兆であること(以上は雪山登山者の常識であると認められる。)、したがつて、登山パーティーのリーダーは、右のような雪崩の発生し易い状況が存在するときには雪崩の危険地帯には近づかないようにし、右のような危険に遭遇した場合には危険状態が解消されるまで停滞、あるいは退却すべきであること、やむを得ず右のような危険な場所に近づく場合には、先頭には経験者を配置し、雪質、雪の安定度、クラックや吹き溜りの存在などに細心の注意を払い、斜面の横断ラッセルなどは厳に慎み、万一、右のような場所を横断する場合にはザイルによる確保をした上で一〇ないし一五メートルの間隔を開けて一人ないし二人ずつトラバースすべきであること、そして万一に備えて雪紐を着用すべきであることが認められ、前記飯田睦治郎の証言中、右認定に反する部分は採用することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
五小泉らの過失について
1 本件ルート選択の誤りについて
本件事故現場付近は、沢の上部のシロデと呼ばれる傾斜約三〇度の山腹斜面であり(雪崩の発生し易い場所であつたことは当事者間に争いがない。)、前記認定事実によれば、本件事故当日は夜半から天候が悪化し、早朝から風速一五ないし二〇メートルの吹雪が続いていたため、雪質が不安定である上に、クラストした雪上に新雪が積もり、また本件事故現場は稜線の風下に当たつていたところから雪の吹き溜りが生じるなど雪崩の発生し易い状態にあつたものと認められる。
したがつて、小泉らは特別の理由がない以上、本件ルートに立ち入ることを避けるべきであつたというべきであり、このことは、原審証人三井滃大、同高橋定昌、同木下寿男、同銀谷国衛、当審証人羽田栄治、原審及び当審証人高橋喜平がいずれも、本件のような状況に遭遇した場合には、西駒山荘に停滞し、風が弱まつてから雪崩の危険のない稜線コースを下山するのが順当な方法であり、同証人らはいずれもその方法を選択したであろうと証言していることからも明らかである(前掲甲第三九号証の三、第四一号証の三、四も同旨)。
被控訴人は、悪天候の下に西駒山荘に留まることは生徒に恐怖心を生じ、天候回復後下山しても秩序ある行動を期待することができなくなり、滑落、転倒などの事故発生が予想されると主張し、<証拠>中には、右主張に沿う部分があり、さらに下山が遅れると学校、父兄に心配をかけるおそれがあるとの証言があるが、<証拠>によれば、本件パーティーの食料、燃料はともに四月二日分まで確保されていたこと(節約してさらに引き延ばすことも可能)及び西駒山荘は停滞する場所として安全な場所であり、パーティー全員健康であり士気も旺盛であつたことが認められ、前記認定のような本件パーティーの人員、構成などに照らすと、西駒山荘に停滞することによつて、被控訴人主張のようなパニック状態が発生するものとは認められず、仮に、被控訴人主張のような不安のある者が居たとしても、その者を安全に保護しながら下山することが可能であるから、右のような理由によつて、前記のような危険なルートを強行突破しなければならない理由とすることはできない。
また下山が遅れることによつて学校、父兄に心配をかけることがあつたとしても、本件山行のような場合には、当初からそのような事態の発生が予想され得るところであつて、右のような理由をもつて前記のような危険ルートを下山しなければならない理由とすることはできない。
なお、被控訴人は、本件パーティーの持参した五万分の一地形図を見ると、本件ルートを進行しても沢筋に遭遇することなく沢の上部を迂回して安全に胸突尾根に至るものと判断することができると主張し、<証拠>中にも、右主張に沿う部分がある。しかしながら、本件事故現場付近の五万分の一地形図「赤穂」(前掲乙第四号証)の等高線を見れば、前記認定の三本の沢筋が稜線近くまで上つていることを読み取ることができるのみならず、前記認定事実によれば、沢の上部の山腹部分も雪崩の危険地域であることが認められるので、被控訴人の右主張及び右証言を採用することはできない。
また、原審証人小泉孝一の証言によれば、同人が三ツ岩辺りから本件ルートを偵察した際には、場所的関係から本件事故現場に存在した沢筋を確認することができなかつたことが認められるが、前記認定のように、五万分の一地形図上から沢筋の存在を読み取ることができる以上、本件ルートが右沢筋にかからず、その上部を迂回して胸突尾根に至るものであると速断することは軽率であり、また、前記認定のように、沢筋の上部も雪崩の危険地帯であることにかんがみると、右偵察の結果によつて本件ルートが安全なコースであると判断することはできないというべきである。
以上によれば、小泉らが西駒山荘に停滞せず、本件ルートにより下山を強行したことは、本件パーティーの引率・指導者として負つていた前記安全確保の義務に違反した過失があるというべきである。
なお、<証拠>中には、本件ルートを下山したことを非難することはできないとの証言部分があるが、同証人らは、本件ルートの是非については、現場にいた者の判断を尊重すべきであつて、局外者が軽々に判断すべきではないとの立場に立つて証言をしているものであり、同証人らも本件ルートにおける雪崩の危険性を否定するものではなく、また、<証拠>中には、本件ルートを選択した判断には間違いがないと思うとの証言部分があるが、その理由は、小泉らには本件ルートについて危険の認識がなかつたのでやむを得ないというのであり、同証人自身は、食料、燃料ともに心配がなかつた本件の場合は、西駒山荘に停滞し、風が弱まるのを待つて稜線コースを下山するのが本来のやり方であると思うというのであるから、右各証人の証言によつて小泉らの前記過失を否定することはできず、さらに、<証拠>中にも、下山決定はやむを得なかつた旨の証言部分があるが、同証人は、小泉の雪崩に対する判断力が不足していたとか、本件の場合は、基本的には停滞するのが正解であつたと証言しているので、右証人の証言によつても小泉らの過失を否定することはできない(なお、小泉らが本件ルートについての危険の認識を欠いていたとしても、後に判断するように、小泉らが右認識を欠いたこと自体に過失があるものというべきである)。
また<証拠>にも、小泉らが下山を強行したことはやむを得なかつた旨の記載があるが、その理由は稜線で猛吹雪に遭遇した場合には不安のため少しでも下に逃げたくなるのが人情であるというに過ぎず、本件の場合は西駒山荘という安全な避難場所があつたこと及び本件下山コースの危険性にかんがみると、右記載部分により小泉らの過失を否定することはできない。
2 本件ルートの通過方法の誤りについて
また、仮に本件ルートを下山する場合であつても、前記認定のような地形、天候、積雪状態などに照らすと、小泉らとしては、生徒らに対し事前に雪崩に対する注意を与え、進行中に雪面のクラックなど雪崩発生の危険を感じさせるような異常が発見された場合には直ちにリーダーに報告させるなど万全の措置をとるとともに、パーティーの先頭あるいはこれに準じた位置に立ち、常に雪質、クラック、雪の吹き溜り及び沢筋、沢のくぼみなどの危険箇所の存在に細心の注意を払い、沢のつめ部など雪崩の危険の高い箇所を横断する場合にはラッセルを中止し、一人一人の間隔を開けて身体をザイルで確保しながら横断すべきであつたというべきであり、このことは、<証拠>によつても明らかである。
しかるに、小泉らは、前記認定のように、生徒に対して雪崩についての注意を与えず、本件パーティーの最後尾につき、積雪斜面を掛け声をかけラッセルをしながら一団となつて本件事故現場に向かつて行つたのであるから(その間岳樺がまばらに生えている森林限界を進んで行つたが、<証拠>によれば、かかる地帯も表層雪崩の危険が存在することが認められる。)、小泉らの右行為は前記雪崩に対する注意義務を怠つた無謀な行為というべきであり、しかも右進行中に清水、志村、嶋ノ内らが二回にわたつてクラックを目撃したにもかかわらず、これが小泉らに報告されず、小泉ら自身もこれに気が付かないまま、漫然とラッセル進行を継続し、雪崩の危険の大きい本件事故現場に突入したのであるから、小泉らには雪崩に対する注意義務を欠いた過失があるというべきである。なお、<証拠>には、小泉らは本件事故現場を通過する際に危険防止の原則を守つていなかつたが、小泉らは沢の存在を知らなかつたのでやむを得なかつたとの記載があるが、他方、同<証拠>には、小泉らは地形の状況を正確に把握した上で行動すべきであつたとの記載もあり、後述するように、小泉らが沢の存在に注意を払わなかつたこと自体に過失があることにかんがみると、同<証拠>の右記載によつて小泉らの過失を否定することはできない。
被控訴人は、本件事故現場がシロデと呼ばれる吹き溜り区域であることを予見することは不可能であつたと主張するが(そもそも本件ルート全体が雪崩の危険地域であつたのであるから、かかる危険地域をラッセルしながら一団となつて横断したこと自体に既に過失があるが、この点はおくとしても)、前記認定のように、五万分の一地形図によれば、本件事故現場付近に沢筋あるいは沢の上部のつめ部分が存在することを容易に推測することができ、しかも<証拠>によれば、同人は、偵察の際に未確認であつた二本の沢の存在を常に念頭に置いていたというのであるから、そうであれば、同人としてはパーティーの最後尾につくことなく、パーティーの先頭に立ち、周囲の地形、雪質、雪の積もり具合、樹林の状況、進路と沢との位置関係などに常に細心の注意を払い、雪崩の発生を疑いつつ石橋をも叩いて渡るようにして進行すべきであり(右注意義務の重大性並びに本件山行は学校行事として行われたものであり、本件パーティーの構成員は本校学生であること及びその構成員の登山歴などにかんがみると、右の役割は小泉が担うべきであつた。)、小泉らがかかる細心の注意を払い、本件パーティーの引率・指導者として当然備えているべき雪崩に対する知識を働かせていたならば、小泉らは本件事故現場が雪崩の危険区域であることを察知し、あるいはその疑いを抱くことができたものと認められる。
そして、小泉らとしては、かかる危険を察知し、あるいはその疑いを持つた場合には直ちに雪崩を誘発するおそれのあるラッセルを中止させ、ザイルで確保しながら一人ずつ間隔を開けて静かに横断するとか、あるいはコースを変更するなど適切な措置を講ずべきであつたことはいうまでもないところであり、小泉らがかかる措置を採つていたならば本件事故を未然に防止することができたというべきである(前記認定のように、本件雪崩は本件パーティーが本件事故現場をラッセルしながら一団となつて横断したために誘発されたものである。)。
被控訴人は、本件事故当時は視界が悪かつたので一人一人の間隔を開けることができなかつたと主張するが、雪崩の危険の重大性にかんがみると、被控訴人の右主張を採用することはできず、むしろ右のような視界の悪い状況にありながら雪崩の危険地帯に踏み込んで行つたこと自体が責められるべきである。
また、被控訴人は雪崩の前兆としての異常が存在しなかつたと主張するが、前記認定事実によれば、本件事故当日の本件事故現場付近の積雪状況は雪崩の発生し易い状況(新しい風成雪)にあつたものと認められ、雪質の不安を示すクラックも目撃されていたのであるから、被控訴人の右主張を採用することはできない。
以上によれば、弘英が本件事故に遭遇して死亡したのは小泉らが雪崩に対する注意を怠り、生徒に対する安全確保の義務に違反した過失によるものというべきである。
六被控訴人の責任
国家賠償法一条一項にいう「公権力の行使」には、行政主体による権力的作用のみならず、公の目的をもつてなされる非権力的作用も含まれると解すべきところ、本件山行が本校の教職員である小泉らの引率、指導の下に学校行事の一環としてなされたものであることは当事者間に争いがないところであるから、被控訴人が弘英及び控訴人らに対し、小泉らの前記過失により生じた損害を賠償すべきであることはいうまでもない。
七損害金
1 弘英の損害
(一) 逸失利益
前記一、二の事実、<証拠>によれば、弘英は死亡当時一八歳で本校三年に在学中であり、本校を卒業する昭和五四年四月(満二〇歳)から航空機整備士として就職し、六七歳まで少なくとも四七年間稼働して収入を得たはずであること、昭和五四年の賃金センサスによれば、高等専門学校卒男子労働者(運輸・通信業)の全年齢平均の月収は二三万一〇〇〇円、年間賞与その他特別給与額は八七万五一〇〇円であることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
そこで、右給与額に基づき、生活費(給与額の五〇パーセント)を控除した上、新ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除し、右逸失利益の本件事故当時における現価を計算すると、別紙計算書のとおり、四一一三万〇一七〇円となる。
そして、弘英が一八歳から二〇歳に達するまでに要する二年間の養育費を、月額二万円として、新ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して本件事故当時における現価を計算すると、別紙計算書のとおり、四四万六七三六円となるので、これを前記逸失利益額から控除すると、弘英の逸失利益は四〇六八万三四三四円となる。
(二) 慰謝料
弘英の家庭、学業、年齢、本件事故の態様など諸般の事情を総合して判断すると、弘英の精神的苦痛に対する慰謝料としては一〇〇〇万円が相当である。
2 控訴人らの損害
(一) 慰謝料
控訴人らが弘英の両親であることは当事者間に争いがなく、控訴人らの家庭状況、弘英の年齢、学業の状態、本件事故の態様、その他諸般の事情を総合して判断すると、弘英が本件事故により死亡したことにより被つた控訴人らの精神的苦痛に対する慰謝料としては各五〇〇万円が相当である。
(二) 葬儀費用
<証拠>によれば、控訴人角舘三郎は弘英の葬儀のため一四九万七三〇〇円を支出したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。したがつて、控訴人角舘三郎が葬儀費用として一〇〇万円(一部請求)の損害を被つたことは明らかである。
(三) 弁護士費用
控訴人らが本件訴訟遂行のため本件訴訟事務を弁護士に委任したことは本件記録上明らかであり、本件訴訟の内容、認容額及び諸般の事情(弁護士謝金の支払時期は未到来であるが、控訴人らは、弁護士謝金につき本件訴状送達の翌日からの遅延損害金を請求しているので、相当謝金額から右の間の中間利息を控除)にかんがみると、弁護士費用としては、それぞれ一六〇万円が相当と認める。
3 相続
控訴人らが弘英の両親であることは当事者間に争いがなく、控訴人らが弘英の被控訴人に対する前記損害賠償請求権(前記1(一)(二)合計金額五〇六八万三四三四円)の各二分の一(二五三四万一七一七円)ずつを相続したことは明らかである。
八抗弁に対する判断
1 過失相殺について
被控訴人は、弘英及び控訴人らは、本件山行が積雪期の登山であり、雪崩の危険のあることを承知の上で、自らの自由意思に基づき本件山行に参加しあるいは参加させたのであるから、損害の算定については過失相殺をすべきであると主張するが、前記認定のように、本件パーティーが天候の回復するまで西駒山荘に停滞し、天候回復後に稜線コースを下山していれば雪崩に遭遇することはなかつたのであり、弘英が本件事故に遭遇したのは、もつぱら小泉らが本件パーティーの引率、指導者として下山コースの選定を誤り、かつ雪崩に対する注意義務を怠つたことによるものであること及び弘英は学校行事の一環としての本件山行に参加したものであることにかんがみると、弘英及び控訴人らには、本件事故の発生につき責めるべき点はないというべきであり、被控訴人の過失相殺の主張を採用することはできない。
2 損益相殺について
被控訴人は、控訴人らは弘英の死亡につき日本学校安全会から死亡見舞金として二〇〇万円を受領していると主張し、<証拠>によれば、被控訴人の右主張を認めることができる。
しかしながら、右金員が「見舞金」であることにかんがみると、これにつき特段の事情がない以上、これを控訴人らの損害と損益相殺することは、その性質上許されないものというべきところ、そのような特段の事情を認めるに足りる証拠はないので、被控訴人の損益相殺の主張を採用することはできない(ただし、控訴人らが見舞金を受けたことは、控訴人らの慰謝料算定の事情として考慮済みである。)。
九結語
以上によれば、被控訴人は、控訴人角舘三郎に対し、金三二九四万一七一七円及びうち金三〇三四万一七一七円(前記七2(一)及び3)に対する弘英死亡の日の翌日である昭和五二年三月三一日から、うち金二六〇万円(前記七2(二)(三)に対する本件訴状送達の翌日であることが記録上明らかである昭和五二年一〇月一五日からそれぞれ支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を、控訴人角舘幸子に対し、金三一九四万一七一七円及びうち金三〇三四万一七一七円(前記七2(一)及び3)に対する弘英死亡の日の翌日である昭和五二年三月三一日から、うち金一六〇万円(前記七2(三))に対する本件訴状送達の翌日であることが記録上明らかである昭和五二年一〇月一五日からそれぞれ支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。
したがつて、控訴人らの被控訴人に対する本件請求は、右限度で理由があるから右限度で認容すべきであり、その余は理由がないから棄却すべきである。
以上により、原判決中右結論に反する部分は失当であり、右部分に対する本件控訴は理由があるが、その余は相当であるから、これに対する控訴は理由がない。
よつて、原判決を本判決主文のとおり変更し、訴訟費用の負担について民事訴訟法九六条、八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言について同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官森 綱郎 裁判官髙橋正 裁判官清水信之)
別紙計算表
◎一八歳の高等専門学校生徒に係る新ホフマン係数(二〇歳から六七歳まで稼働)
一 就労の終期(六七歳)までの年数四九年(六七歳〜一八歳)に対応する係数=二四・四一六
二 就労の始期までの年数二年(二〇歳〜一八歳)に対応する係数=一・八六一
三 就労可能年数=四九年−二年=四七年
四 適用する係数=二四・四一六−一・八六一=二二・五五五
◎高等専門学校卒全年齢平均給与額
一 一年間の給与額(賃金センサス昭和五四年度第一巻第一表による)=二三一、〇〇〇円(毎月きまつて支給する現金給与額)×一二か月+八七五、一〇〇円(年間賞与その他特別給与額)=三、六四七、一〇〇円
二 一年間の生活費控除額(五〇%)=三、六四七、一〇〇円×〇・五=一、八二三、五五〇円
三 一年間の純収入=三、六四七、一〇〇円−一、八二三、五五〇円=一、八二三、五五〇円
◎逸失利益額
一 養育費控除前逸失利益額=一、八二三、五五〇円(一年間の純収入)×二二・五五五(適用する係数)=四一、一三〇、一七〇円
二 養育費=二〇、〇〇〇円(月額)×一二か月×一・八六一四(新ホフマン係数)=四四六、七三六円
三 最終逸失利益合計額=四一、一三〇、一七〇円−四四六、七三六円=四〇、六八三、四三四円